人間が人間であるために

「私」の居場所 土屋慶史(岡崎教区)

 「本堂も庫裏もある、中庭もある、このお寺という場でね。でも、私の居場所はどこにも無いの」。この妻の一言がすべての始まりだった。

 結婚して数年後、彼女が言ったこの言葉がグサリと刺さった。だが、私は押し黙るだけだった。離婚届も2度ほど突きつけられた。

 契機は次女の誕生。産まれたばかりの次女を抱っこしながら「ねえ、本堂をお借りして、私のような母親たちの集いを初めていい?」と妻が言い出した。「仏法と関係のあることなら…」と、訝しがる両親を説得しつつの出発。彼女と私の中で何かが動き出した。子育ての中の母親たちに妻が声をかけ、乳幼児を抱え居場所を確保しづらい女性たちが本堂に集まり始めた。環境のこと、憲法のこと、学びたいことを学習しだした。ある時、誰かが「チャリティーコンサートをやろうよ!」と言い出した。1000人の人が集まり、到底、本堂では間に合わず、公会堂を借りた。

 統一地方選挙の折、地域の女性、母親たちから妻に「市議会に出馬しませんか?」と打診があった。得票数、900票台、24名中、ビリッけつ当選だったが、2期目は2400票台で4番目の快進撃だった。かつて、日々の生活に居場所を見出せなかったひとりの女性が居場所を探しはじめた時から、彼女の人生も、私との関係も、寺院も、地域も動き出した。

 気が付けば、住職の私を坊守がサポートし、市議会議員の秘書として、事務的なサポートを住職がする、ずいぶんと珍妙なカップルができ上がった。

 「性差別とは、男女平等参画とは何か」を問われて、とぼとぼ歩いた16年、その変化に私自身が驚いている。 

『同朋新聞』2016年10月号